トピックス40 玄太郎狐塚の案内板

 平成元年の碩水寺報に『龍澤山秘話』と称して 玄太郎狐塚についてという記事が載せられました。「誰が作ったものか、いつ作ったものかわかりませんが碩水寺の裏山に”機澤玄太郎狐”の石碑がありました。 碩水寺伝説の主かも知れません。古老でもあり、村長さんでもあった鎌田治躬さんにその由来をお聞きしてみました。」とありました。
 『昭和26年頃、現在の満願寺から碩水寺山門下に至る道路や水路の改修工事を行った時、坂北村中村の山崎利治さんがその工事に携わっていたときのことです。石材を運んでいるとき何かに先が突き当たりうまく進まなかった。支障になったのは角ばった自然石であった。掘り出してみると表面に「機澤玄太郎狐」となかなかの達筆な文字が読み取れた。何時の時、何のために作られたものか判らないが、書体等より推定すると徳川のころのもののように思われる。私は利治さんに「何かの因縁で発見したのだから、発見した近くに建て、お神酒をあげて供養しようではないか」と提言した。現在の寺の西山頂の岩の上に安置されている。寺の山号の龍澤山と相通ずるものがありはしないか。狐については昔話に出てくる主人公、天神山の由良之助とか、里坊の何々とか、いずれも付近の顔役のようだが、玄太郎兄も時を得たら、いい兄貴分かもしれぬ。』と書いて下さっていました。

 今回、山崎利治さんの息子さんの山崎日出男さんと鎌田治躬さんの娘さんの島田英江さんはこの狐石が祭られた経緯などを刻んだ案内板を建立しました。三峰山の鳥居から真っ直ぐに登っていくと山の中腹にあります。

 案内板には『機澤玄太郎狐』の文字の拓本と、祭った経緯をステンレス製で作り、狐石の側に建てられました。碑には、鎌田さんの原稿用紙が残されていたものを刻んだものです。