さわやか法話 65 「一発菩提心」

 平成三十年、この新しき年が皆々様にとりましてより良き年でありますように、心からお祈り申し上げます。
 さて、この碩水寺さわやか法話も2年前から更新できずにおりました。実はこのさわやか法話は20年前に亡くなった先代栄雄和尚、その二年前に亡くなった俊雄和尚様が残されたノートの中から抜粋して掲載することが多くあります。今もその中からちょうど平成6年1月元旦 戌年に書いたものを綴っております。

 戌年です。犬も歩けば棒に当たるとか、出逢いは命です。日々私たちの命の歩みの中で、どんなめぐり逢いがあり、どんなご縁、えにしを結ぶことができるのか、人生の一大事のことだと思います。犬に負けぬよう積極的な行動を通して、より良きご縁に巡り合うことが出来ます様、そのワンチャンスに命をこめて行こうではありませんか。
 このところ法話を続けることに息切れがしてしまい、無力感のようなものに襲われてしまったわけで、スランプというものでしょうか。つくづくオノレの弱さを痛感してしまいました。
 そこで、「一発菩提心を百千万発するなり」道元禅師の我らマンネリに疲れた弱き者どもへの衝撃的なゲンコツです。菩提心とは、よし、やるぞという心、自分の仕事、つとめを少しでもよりよく、立派に勤め上げようという意欲で、その心を発するのを発菩提心といい、つまり初心を忘るるべからずの“発心”です。発心は一度だけであとは苦しい努力だけが続くと思うのは考え違いで、縁にふれ、折にふれて“発心”しなさい。最初の発心を百千万発するのだ!というのです。確かに、もし発心が一度きりで、後にはダラダラ、変哲ない努力が続くとすれば、その日々はマンネリに陥り、私たちは必ず退屈して、スランプに落ち込んでしまうものいったん立てた志が、ガタガタと崩れてしまうのも、こういうところに兆し始めるわけです。
 さあ!「一年の計は元旦にあり」お互い、今の歩みの、足元を見つめ直して初心を忘れず、『一発菩提心を百千万発するなり』、年頭にあたり、百千万発の発心とまいりましょう。  (栄雄)