さわやか法話 60 「底なしつるべで水を汲め」

 現代の傑僧と言われた方に梶浦逸外という、岐阜県正眼寺に住した臨済宗の禅僧がおられました。31年前に亡くなられておりますが、野球の川上哲治さんのお師匠さんとしても知られている老師です。その逸外老師の座右の銘は『底なしつるべで水を汲め』というものです。師が12歳のころ、出家して仏門に入る時、母親が諭してくれたのが「底なしつるべで水を汲め」であり、  師の生涯も底なしつるべで黙々と、ただひたすら水を汲み続けているように一心不乱に仏道を  求めるものであったということでしょう。
 『あるところに大変な億万長者があり、子供が一人もなく、どうしても後を取ってくれる養子が欲しかった。そこで、養子を大募集したところ、億万長者の財産目当てに多くの者が集まって来たが、財産目当てであるため気に入った孝行息子はなかなかいない。その中から一人を選ぶために出された試験が、井戸端で、二つの底の抜けたつるべをもって、夕暮れから翌朝の一番鶏が啼くまで、四斗樽に水をいっぱいに汲みこむという難題であった。そんな馬鹿なことが出来るものかと多くの者は放り出してしまったが、中の一人の青年だけが四斗樽に水が溜まったか、溜まらないかを念頭におかず、黙々と汲んで汲んで汲みぬいた。一番鶏が啼いたころ、長者が調べに来たら、何と樽には水が満水し、余り水が流れている。その青年は「親孝行ができました」と喜んで報告した。それにも増して喜んだのは長者であり、立派な跡継ぎができ、二人は幸福に暮らした。』
 
逸外のお母さんは、この話をした後、「どうして底なしのつるべで水が汲めたのか、そんなことは問題ではない。馬鹿は馬鹿でいいから今日志したことをどこまでもコツコツとやり抜くことだ。」と、諭されたということです。さらに、老師は「もし、人が二十五歳で死ぬとしたら、五十歳まで生きたことにするためには他人の倍の時間、倍の仕事、倍の学問、倍の修行に努力することだ。それを間断なく務めることだ。」と多くのお弟子を導かれたといいます。
 四月は一年の発心、スタートの時、「底なしつるべで水を汲め」を心に留めておきたいと思います。