さわやか法話56 龍澤山 碩水寺とは

 今年は記録的な猛暑が続き、稲作にも影響するのではと心配されましたが、何とか実りの秋を迎えられたようです。雨がなければないで、雨が多ければ多いとぼやきます。人間とは何と勝手だと天の水神様が嘆いているかもしれませんね。
 さて、この寺は、「龍澤山 碩水寺」といいますが、この山号、寺名の由来をご存知ですか。明治9年の頃、坂北村を紹介した『村誌』に、碩水寺を説明して次のように書かれています。「按ずるに該地、早損の憂いを免れんことを評して、龍澤碩水と称したらんことを伝う。」と、あります。つまりわが里筑北の地はいつの世も、いつの時代も常襲旱魃の地のため実りも少なく、憂いの多い里であり、水不足に困り、「早損の憂い」に泣かされてきた里です。だから龍神さま、天に登って雨降らせたまえ」、そして恵みの雨が、すぐれた水が枯れることなく、滾々と湧き出ずる里でありますようにと、そんな切実な祈りがこめられて、龍澤山碩水寺と名づけられというのです。
 碩水の『碩』とは碩学、碩徳の碩ですから、優れている、広くといった深い意味がこめられています。水不足は、作物を実らせないだけでなく、一番こわいのは人の心の水分、つまりやさしさ、思いやりといった心のみずみずしさ、潤いまで枯らしてしまいます。「碩水」とは、滾々と湧き出ずる泉のように、心の潤いだけは枯らしてしまってはダメと教えているようです。