さわやか法話 50  六根C浄
 

 テレビ等に放映される、富士山とか御嶽山に、白衣に身を包んだ行者が 「六根清浄 お山は晴天」と、唱えつつ登っている姿をご覧になったことがおありと思います。六根とは、私たちの眼、耳、鼻、舌、身、意を指していますし、清浄とは、清らかになる、澄ませるという意味です。即ち、一歩一歩山を登り、山のふところに入ることにより、ことごとく清められることと、自分自身、全身を清らかにして、ということが含まれています。山を修行の場と考える時、そこに、「清浄なる大自然」を感じ、その中の絶大なる生命に全身を傾け、身も心も清らかになった自分との対話が始まるのであります。
 日常生活の中で、手を洗い、口をすすぎ、身支度を整えるのを、外側の美とするならば、六根清浄は内側の美であります。今日の社会生活の中で、私たちは多くの悪に直面しないわけにはいきません。その時に、悪いと知りながら正しい行動がとれなかったり、人からの誘惑に陥りやすかったり、友情とか、集団の名のもとに悪にひきずりこまれたりすることが多いことと思います。悪を悪とし、善を善として、はっきりとらえる勇気ある意志と態度を築くことが大切であります。それには常に、「六根清浄」と唱えて生活したいものです。清らかな大自然の中に、やはり清らかな人間として立ち向かって行きたいものです。