さわやか法話 47 『修證義』を学ぼう

 碩水寺は曹洞宗に属しています。曹洞宗がよりどころとするお経といえば、よくご存じの「修證義」です。「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁なり・・・」で始まるこのお経をお葬式や法事の折に冊子をお配りして、皆でお読みいただくようにしています。「修」は修行のこと、精進、努力、頑張り。「証」は覚証(さとり)のこと、私たちが願い目指したい安らぎ、理想の世界。「義」とは意味とか意義。したがって『修證義』とは「修行とさとりの意味について」と言うことができます。私たちは、ただノホホンと食べて寝て、暮らすだけで、たった一度しかない一生を無為に過ごしてしまったら、それこそ勿体ないではありませんか。「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」第一章冒頭の一節です。生きとし生ける者皆、生まれ、成長し、実り、老い、病み、いずれ死を迎える、誰が避けることができるのか。この生死と表せる避けがたい、現実の相を見つめ、人生とは何かを「明らめ」、見定めることが自覚ある人間としての根本問題でありますよ!。「一大事因縁」ですぞ!と決心をうながすのです。まあ、人生いろいろ、生と死のはざまで、憂い、悩み、苦しみ、悲しみ、吉凶禍福がつきまとうが人はどのように生きるのか、生きねばならぬのか、どのような安らぎが、どこにあるのか、じっくり明らめ、悟ってみようじゃないか!、と『修證義』は語りかけ、導いてくれるのです。内容は次回に載せたいと思います。