さわやか法話 42   矢ガモ 哀れ

 仏さまの教えで、忘れてはならないのは、『同悲』の教えです。哲学者ショーペン・ハウエルも「仏教には同悲ということがある」と賛嘆しているほどです。“同じ悲しみ”、つまりこの人、あの人の悲しみが、即、私の悲しみと受け取める心、この人の喜びがそのまま私の喜びと心かよわせるやさしさが同悲の世界です。山、川、草木、魚、鳥すべての命の上にも、私の命を見るからこそ、殺せない、傷つけられないのです。
 最近また矢ガモの事件が報道されました。十数年前にもやはり矢ガモのひどい事件が報道された事がありました。今回は頭に矢を貫通された一羽のカモが矢をつけたままで懸命に餌を取ろうとしています。何とも痛ましい光景を目にして、一体誰があんなひどいことをしたのか。かわいそうに、早く矢を抜いてあげなければ、カモよ、頑張れと一様に同悲の思いを禁じえません。 今は鴨鍋とか、鴨猟がありますが、それなのにカモ一羽に大騒ぎをしているなんて  おかしいという声も聞きます。では、何故に、矢に傷つけられた一羽のカモにこれほど大きな同情が集まったのか。そうです、私たちの心の奥にちゃんとしまわれてある、同悲の思いにうながされてのことだと思います。それを仏心、ほとけ心と言うのでしょう。
 『窮鳥ふところに入れば、猟師も撃たない』と言うではありませんか。あなたの周りに傷つき、悲しみ、苦しむ者があれば、放っておけますか。何とかしてやりたい、及ばずも力を貸してやりたい。その思わずの衝動こそ、なんとしても失ってはならない仏心なのです。
 お釈迦様も
  人はおのれより愛しいものを見出すことはできぬ
   それと同じく他の人々も自己はこの上もなく愛しい
    さればおのれの愛しいことを知るもの
     他のものを害してはならぬ
 
と、諭しております。“おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ”
                                        栄雄