さわやか法話34  「登りて見れば、見えぬ里なし」

 私の寺の門前から眺めるアルプス連峰の勇姿は格別です。太陽が西端に沈むころ、茜に染まるスクリーンに大小の峰々がシルエットに極だって、その荘厳さに、思わず、「あ、極楽だ」とつぶやいてしまいます。山里に住むわれらのかけがえのない安息のひと時でもあります。
 極楽の花の台か槍ヶ岳、登りてみれば見えぬ里なし
 
この歌は、あの雄峰、槍ヶ岳を初めて開山した、播隆上人が、槍の頂上に一歩をしるした時の感激の一首であります。松本駅の広場に播隆上人の銅像が立てられているくらいですから、上人とこの地のゆかりの深さはお分かりのことでしょう。上人は今から200年ほど前、富山県の生まれで、非常に赤貧を洗うが如き暮らしの中で育ち、艱難辛苦のうちに発心し、出家しました。19歳の時、大阪に出て浄土宗宝泉寺の具仏上人に弟子入りし、各地を 行脚しては修行を積み、人里離れた深山に入って難行苦行を重ねたのでした。上人も山里育ちのためか、特に山岳霊場に心ひかれていたようで、遥か高い峰々に登り行けば、それだけ西方極楽浄土に近づける。そして浄土におわす阿弥陀如来様に会えるに違いない。阿弥陀様のみ胸にいだかれることこそ、上人の悲願であり、強い信仰であったのです。上人が飛騨山脈の霊山、笠が岳に登った時のこと、はるか東方に聳える槍ヶ岳を望んで、その偉容にすっかり魅了されてしまい、「よし、あの峰に阿弥陀堂を建立しよう」と発願したのでした。上人が艱難辛苦の末に5年もの歳月を費やし、松本玄向寺の立禅和尚の手助けを得たりして、登頂、開山に成功し、阿弥陀堂を建て、道を整備し、危険箇所に鎖をつけるなど、登山の便を計ることに心血を注いでくれたのです。そんな、上人の悲願と実践躬行を偲ぶ時、「登りてみれば、見えぬ里なし」の真意が素晴らしいと思います。確かに槍の頂上から、何もかも見下ろした風景は見えぬ里なき絶景でしょう。そしてまた、それは人生を思う心の風景でもありましょう。岡目八目と言いますが、平地では目先のことはよく見えますが、遠い所はよく見えません。高地に立って視野が広がれば、物の考え方も広くなる道理です。もっと高く、高く登れ、人間を鍛えろ、心を磨け、その精進努力の末に登った心の高みから、来し方を  今の生き様を見透かしてみろ、愚かさが、傲慢さが、小さなことに捉われる未熟さがよく見えるではないか・・・  と言うのです。
 「人多し、人のなかにも人ぞなき人となれ人、人となせ人」という歌があります。まえの句は沢山の人間はいるけれど、これは、という人材は少ないということですがあとの句は、みずから磨け、その努力を怠るな、そして人を愛し、人材を作れという、いわば自己も周りの人も皆共に、人間形成の大切を説いているのです。人が人として問われている今、自己を高めていく以外に   道はないと思います。
 眠りえぬ者に夜は長く
  疲れたる者に五里の道は長し
   正法を知るなき愚か者に
    生死の輪廻は長からん  

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