法話31  大樹となり

 寺の庭の境内に欅の木があり、あっという間に葉を繁らせて、まるで緑が重なりあってよくよく坂道を行く人々や、 外で働く人々に格好の木陰となって、汗をぬぐうにはもってこいの涼味を与えてくれます。
 ”天下の人のために陰涼とならん”この言葉を思います。陰は木陰、涼は涼しさ、安らぎです。 暑い太陽にさらされる時、大樹の陰ほどありがたい物はない。大樹は枝を張って太陽の直射をさえぎり、 涼風をもたらしてくれる。自分の暑さをいとわず、陰と涼しさを作ってくれるのです。 仏道修行の目的も人生修行の日々も、結局は天下の大樹となって、 多くの人々のために涼しい安らぎの場を与えてやれるような、大人物になりなさいということでしょう。
 そう言えば、看護師さんのことをナースと言いますが、ナースとは、元は保護樹、 抱くの意味だそうで、大樹が自分の下の小さな草花を保護してくれるように、 看護も保母の仕事も幼子を優しく保護し、病気の痛みや人生の苦悩という直射をさえぎり、 心に安らぎの”陰涼”を与える、そんないたわりの心が感じられます。
 さて、日本にも伝えられた臨済宗の祖に、臨済義玄という唐代屈指の禅僧がおります。 その臨済が小僧のころ、師匠の黄檗禅師の下で修行をしていましたが、どうも成果があがりません。 臨済は自分の非力を悲しみ、修行を断念して、黄檗のもとから去ろうとします。 この時、兄弟子がひそかに師匠の黄檗に進言します。 「臨済はきわめて純真な若者で見どころがある。きっと今後、自ら鍛錬して成長し、 大樹となって、天下の人々のため”陰涼”となると思います」と。 はたせるかな臨済はこんな励ましと指導を受けて大禅者になったわけです。 さて、「天下の人の為に陰涼とならん」枝葉をたわわに貯えた大樹に育っていきたいものです。 どんな大樹も初めは一粒の種です。それがやがて太陽や雨に育てられて、 肥料を吸収して次第に成長するのです。
                        栄雄