さわやか法話28仏様のように(平成16年1月)

 新しい年が皆様にとりまして、より良き年でありますよう、
    まずもって心からお祈り申し上げます。
 
今年は猿年、日光猿軍団に反省猿の次郎君が大活躍でしたが、 今年亡くなったというニュースがありました。次郎君は何とも愛嬌のある仕草で大人気でした。 特に手を伸ばしてよりかかり頭をピョコンと垂れて、反省をやる。 次郎君のあの反省ポーズは哀愁ただよう共感があって見ている人間の方にも、 俺だって反省したいことだらけと、思わずうなずいてしまうほどです。 まことに、まことに見事な猿真似です。猿という動物はよく人の真似をする。 そこから猿真似とは、よく考えずに人の真似をすることの愚かさを嘲笑する言葉に使われています。 が、しかし、次郎君を見ていて猿真似で結構、真似することにちっとも悪くないぞと思います。
 「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり、 偽りて賢を学ばんは賢というべし」とありますように、泥棒の真似をすればもう立派な泥棒。 反対に聖人、賢人の真似をすれば聖人、賢人にもなれます。そういえば確かに「学ぶ」という言葉は、 まねびが語源で、まねると同格の語であると言います。 だから『学習」の学は要するに真似ることであり、習、ならうは繰り返し反復することなんです。 次郎君だって人間の仕草に真似て、何度も何度も練習させられたんでしょう。 私達は座禅を行じます。何で座禅をするのか、いわばお釈迦様が座禅をしながらお悟りを開かれたから、 座禅はまさにお釈迦様のそのものの真似なんです。 私達は凡人だけども凡人が仏様になるなんて至難のワザであるけれど、 しかし、仏様の真似はできるでしょう。 仏様の教えに従う生き方を真似ることはできるでしょう。 仏の真似をして、仏のように、仏らしく、仏の気持ちになって毎日を生きていきたい。 今年もこのさわやか法話を頑張って語りかけていきたいと思います。 お互いに仏様、菩薩様のように生きて行きたいために、どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。