法さわやか法話 27  日々これ好日

 秋の行楽シーズンたけなわ、青い空を見ると何となくそわそわします。 過日お檀家さんを募って大本山総持寺に研修旅行に行ってきました。 本山総持寺は螢山禅師というお方が開かれた寺。 その螢山禅師は禅の教えを平易に説かれ、一般民衆への布教を第一のこととし、 曹洞宗教団の基礎を築かれたお方です。 その螢山禅師は「日々これ好日」という禅風を説かれました。 仲間とバスにゆられ、澄みきった青空を眺めていると、「日々これ好日」、 毎日がこんな良い気分で暮らせたらどんなによいか、などと考えてしまいます。 イギリスの詩人、ラスキンの詩に『雲』という詩があります。
  世の人々は今日は良い天気だ
  また悪い天気だなどと言うが
  天気によいも悪いもない
  みんな良い天気ばかりだ
  ただ種類が違うばかりで
  晴れた良い天気、雨の良い天気、
  風の良い天気との違いだけだ

ふっと私たちは雨や風、特に北風吹く寒い日には、 いやな天気だとぼやいたり勝手に気分まで憂鬱にしたりしています。 しかし、どんな天気であろうと、それに負けたらおしまいで、 心は常に太陽を抱いたように、晴れやかに、明るくつとめる努力が必要ではありませんか。 ”忘れていないかこの笑顔”です。 私も常日頃、いやな天気にぶつかった時には、 それはいやな気分でムシャクシャしてしまう、 日暮しの中での暗い気分になってしまう時には『身よ、雲外、雲の外です。 雲外に蒼空あり』。低くたれこめた雲の上にはいつも太陽の光の燦燦と照り輝く蒼い空がある。 それを思い出すことにしています。雲が晴れれば、蒼い空、 それが「日々これ好日」の日暮しのさわやか極意です。
                         栄雄