法話26普回向文その2

  前回の法話に普回向文、「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」。このお祈りの文句によく親しみ いつでも口をついて出てくるように覚えておいて下さいと申しておきました。 本山永平寺のような修行道場において、一番中身の濃い、それだけ 厳しい修行は『接心』といわれるものです。
 『接心』とは仏様や祖師方の 心にふれる、身体ごと接するというもの。朝三時から夜九時まで、座禅堂を 離れることなくずっと座禅三昧にふける、それを一週間から十日間も続けるのです。 厳しい儀式に従って、寸分の解脱も許されない座禅ですから、修行僧には、足がもちろん体中がギリギリと痛み、あまりの緊張感に気も遠くなるほどの難行苦行なんです。でも、そうして命をかけるような修行を繰り返してこそ、 一人前の僧侶として成長できるのですから、私も懸命に頑張ってきました。 その接心の一日の終わりを告げる鐘が、堂内に鳴らされます。すると一同は合掌して、「願わくはこの功徳を・・・・・・・」とお唱えします。二百人を超える 修行僧が心をそろえて、低い声で静かに唱和するのですが、この時ほど修行の 苦しさ、辛さとは裏腹に頑張り終えた、ほっとした安らぎの中でこうして修行できる ことを、しみじみとした満足感に浸ることができました。
 この普回向文の持つ深い教えに心の眼が開かれると思いました。つまり、こうして 私が懸命に修行に励み、功徳を積み、自己の鍛錬に努力をするのは、私だけの ためではない。その功徳、その力はあまねく一切に及ぼし、他にめぐらし及ぼすもの でなければならない。わたしも皆も共々に、仏道を成ぜんがためのものであると 思うのです。自分の目的だけのため、自分一人の幸福の為にだけするのでなく、 いつの日か、他の人々にもめぐらしむけて、少しでも人々の、社会のお役にたつことの できるような人間になるためのものであることに、心を定めなさいと教えられたのでした。 仕事の努めも、修行の日々も変わりのないこと。一日一日の私達の頑張りの少しでも 他のお役になれたらと願います。
 『我ら衆生皆ともに仏道を成ぜんことを』と願いたいものです。
                        栄雄