さ わやか法話 20  因果応報 

 とてもぶどうの美味しい季節となりました。 私の好きな詩人、高見順の詩をご紹介しましょう。
 ぶどうに種があるように私の胸に悲しみがある
 青いぶどうが酒になるように私の悲しみよ
 喜びになれ
ぶどうの得も言われぬまろやかな甘さが、心をとろりとさせてくれるように感じます。 そして、この内容は、仏教の教えで「因果応報」、つまり、因縁の道理を解かりやすく、具体的に示してくれているのです。
 「因縁」ということは、『過去から現在、そして現在が未来に及ぶまで、原因とその原因に 働きかける縁との関わりあいとによって結果を生じる』というこの世の厳然とした 道理のことです。人間という生命は、精子と卵子を作り、それが父と母、夫婦という 縁によって新しい生命がこの世に生まれる。誕生した生命は又縁を得て未来の縁と続いていくという道理です。
 ぶどうの種は、土にまかれ、水や太陽の光線、肥料、そして人の耕作、その他の 限りない外からの働きかけ、これが縁です。縁を受けて初めて芽が出て成長するのです。 つまり、芽をふく生命力のある種、つまり因、種の発芽を助ける縁のおかげで 固いぶどうの種子がいま食べるおいしいぶどうに成長したのです。
 このように、すべての物事は「因」と「縁」とがかみあって作られていくのですが、 私達の生活の事柄、そして幸、不幸、悲喜こもごも全てに因と縁のからみあいがあり、大切なことはそのからみあい、行動を考えてみることなんです。 ぶどうに種があるからぶどうが繁茂し、果実も生じるのです。果実が生じて 人の技術や酵母などの縁によりおいしいワインという価値に生まれ変わります。 それと同じように「悲しみ、苦しみ」が私たちを責めつけたとしても、その苦しみの 種もよい考えと努力という縁のおかげで「喜び」というワインに生まれかえることが できるかも知れません。
 「喜びになれ」と念じながら今、因果の道理を信じて、よい種まきに努力することが肝要なのです。 「ぶどうに種があるように・・・・・・・・」 この詩を味わってみてはいかがですか。                                             (栄 雄)