さわやか法話2 ”鬼は外・・”

 節分の 豆まきの行事は追儺会といって昔は宮中の神事であって新年を迎えるにあたって 疫鬼、疫病神を追い払う行事であったようです。 この日は鰯の頭を柊にさして門に下げて、炒り豆を打ち撒いて「鬼は外、福は内」と大きな声で邪気、 災厄をはらうという丁寧な家もあるようですが、暦では立春、寒が明けるとはいえ、まだまだ寒気凛冽の一年中で一番寒 い季節、 年の数だけ豆をつかんで豆に暮らせますようにと 祈りをこめて、この大寒を元気で乗り越えたいものです。
 そこで”鬼”とは何だろうと思いました。 仕事の鬼、鬼がすむか蛇が住むか、鬼が笑う、鬼のいぬ間に洗濯、鬼の撹乱、鬼の首をとったよう、 鬼の眼にも涙、等々まあたくさんありますが、やはり私たちの心に巣くう鬼的存在、鬼心邪心、角を出し、 牙をむき、眼を怒らしたような荒々しい荒ぶる感情、そんなものに眼を向けてみなさいということでしょう。 ある死刑囚の歌に「この体、鬼と仏があい住める」という歌があります。 条件、環境次第で仏様も顔負けするほどの素晴らしいことを難なくやってのけるこの同じ人間が、 事と次第によっては人殺しもしてしまうほどの極悪な鬼に変わる可能性を持っていると、この死刑囚は叫んでいるので す。
 節分の日ばかりでなく、日々私たちの心に潜む鬼どもにも眼を向けて豆をぶつけてみたいものです。
                   (栄雄)

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